黒船来航

『黒船来航』(くろふねらいこう)とは、1853年にアメリカ東インド艦隊司令官マシュー・カルブレイス・ペリーが浦賀沖に来航した事件である。旗艦サスケハナ号、ミシシッピ号、サラトガ号、プリマス号の4隻のアメリカ軍艦が来航し、当初は庶民も見物に出たりと悠長に構えていたが江戸を砲撃するかもしれないという噂が流れると一点した。アメリカは、太平洋で盛んに捕鯨を操業していたため、航海の拠点の必要があったのだ。そのアメリカ大統領の国書を渡しに来航したのである。しかし当時の12代将軍、徳川家慶は病の床にあったため、決断力が鈍り国書を受け取ったのである。そして、1854年琉球を経由して再びペリーは浦賀に来航した。ペリーは徳川家慶の死を知っての来航で、国政の混乱の隙をつこうという作戦だったのである。そして間もなく、ペリーの軍事力に屈する形で、アメリカの開国要求を受け入れた。そこで200年以上続いてきた「鎖国」が解かれたのである。