応仁の乱

『応仁の乱』(おうにんのらん)とは、1467年~1477年に起こった内乱である。戦国時代に突入するきっかけとなったとも言われ、幕府の政治の中心になっていた細川勝元と山名宗全の対立をきっかけに、有力守護の相続争いや将軍の跡継ぎ問題も重なり全国規模に拡大した。京都を中心に全面戦争が始まり、各所の大寺院にまで火がかけられ京都中が戦火にまき込まれ焼け野原と化して荒廃していったのである。細川氏率いる東軍は24か国の兵約16万、山名氏率いる西軍は20か国の兵約9万を動員して戦った大規模な大戦となり、京都を中心に争いが起こっていたため、公家や僧らが地方へ逃れ、その影響で京都の文化が地方へ広まっていったと見られる。『応仁の乱』は11年にもわたり戦闘が続いたが、将軍同士が滅びることもなく、幕府の権力だけが失われ、結果的には何も得ない争いとなったのである。そんなことから、語呂合わせで「人の世むなしい応仁の乱」と呼ばれている。