南蛮貿易
『南蛮貿易』(なんばんぼうえき)とは、16世紀半ばから17世紀初期にかけて南蛮人と呼ばれていたポルトガルやスペイン人の商人との間で行われた貿易のことである。1543年にポルトガルの商人が種子島に漂着したことがきっかけと言われている。貿易を活発化するため九州の諸大名はキリスト教の布教を許可し、貿易船の誘致に努めた。最初の漂着の時に、銃を売って行ったことから日本の「火縄銃」が開発された。そのため「火縄銃」は地名から「種子島」とも呼ばれていた。翌年、ポルトガル商船がはじめて長崎に入港し、貿易都市として栄えていき、豊臣秀吉も南蛮貿易を進めていったのだが、ポルトガル人のキリスト教の布教活動が植民地拡大を狙っているという噂を耳にし、「バテレン追放令」を発令したのである。「バテレン追放令」はキリスト教の布教活動を違法とし、宣教師の国外退去を命じた。しかし豊臣秀吉は、貿易独占を意図して長崎を没収して直轄地としたのであった。