南北朝時代
『南北朝時代』(なんぼくちょうじだい)とは、1336年~1392年を指す日本の時代区分の1つである。後嵯峨天皇の退位後、鎌倉幕府の仲介により大覚寺統と持明院統が交互に皇位につくように取り決められた。後醍醐天皇は鎌倉幕府を滅ぼし、天皇独裁の専制的な政治を行う。これを「建武の新政」と言う。その後、足利尊氏は後醍醐天皇と一時和解し、建武式目を制定して幕府を開いた。1338年頃には北朝方が南朝方の優位に立ち、四條畷の戦いで南朝一行は賀名生へ逃れ、勢いは衰えていく。1339年に後醍醐が死去し、一時的に親房が南朝のトップに立つが、その親房も死去すると南朝はまた衰えていった。1392年に足利義満の斡旋により、後亀山天皇が後小松天皇に「八咫鏡」(やたのかがみ)・「天叢雲剣」(あまのむらくものつるぎ)・「八尺瓊勾玉」(やさかにのまがたま)の三つの宝物で、天皇が皇位のしるしとして受け継いだという「三種の神器」を渡し南北朝が合体したのである。これを「明徳の和約」(めいとくのわやく)と言う。